ばあちゃん |
「孫が被災地の方がたに何ができるのか、自分を探したいというて、岩手県の友だちを訪ねていきましたが、自己中〔じこちゅう〕の孫とばかり思っていましたが・・・」 |
ごんげはん |
「ほうー感心やな。義捐金箱を盗んでゆくシャバだが、一方、思いがけない若者が、じっとしておれんというて、ボランテイア活動に取っ組んでいる。尊いことですね」 |
ばあちゃん |
「まだ行方不明の方が七○一四人〔七月七日現在〕もおられる。胸が張り裂けそうで涙が出ますちゃ。僅かですが、義捐金出させてもらいました」 |
ごんげはん |
「いつも自分中心に生きていながら、その私に人の悲しみが他人事と感じられないという思いは、いったい、どこから来るのかな。不思議ですね」 |
ばあちゃん |
「中には立山のおかげで、災害が少なくて富山はいいとこやねという人がおられるけど、被災地の方がそれを聞かれたらどう思われるやら。罰があたりませんかね」 |
ごんげはん |
「自分に関係ないことでも、見過ごしにできない状態を目や耳にしたとき、人ごとでないと感ずる、それが私を生かしているいのちの事実でしょうね」 |
ばあちゃん |
「それはやはり、前にも言われた同根のいのちということですか」 |
ごんげはん |
「はい、いのちは決してばらばらではない、お互いに通じあうものを、お互いにもっているということでしょう。なにかできることをしてあげたい、しかし、できないことを申し訳なく思う、そういう心が私の中に生まれてくる。『歎異抄』に一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なりといわれています」 |
ばあちゃん |
「つまり私のいのちは、おぎゃあと生まれてから始まったのではないということかな。無量寿から生まれてきた、尊いいのちをこの身に頂いておる。勿体ないなあ」 |
ごんげはん |
「おぎゃあと生まれて、自分が体験したことだけが人生のすべてであるなら、人の悲しみを、人ごとでないと感じる心は、決して私の中には出てこないと思うな」 |
ごんげはん |
「 原田大助という知的障害の人が、十代のときに書いた詩に、オレのおかあちゃんのおなかに赤んぼうがいるんやぞオレともうちやんと手をつないで生きとるんやぞもっと手をぎゅっとにぎったり 〔にぎってあげよう〕悲しくなくなるかもしれへんから (『さびしいときは心のかぜです』樹心社)いのちに○×をつけて選ぶ今日の科学の最先端からすると、原田さんの人間としての素朴な世界がどんどん見失われてきていますね」 |
ばあちゃん |
「それにしても優しい詩ですね。ほっとするような安らぎを感じます」 |
ごんげはん |
「昔から無量寿は阿弥陀様の慈悲の働きをあらわすといわれる。慈悲というても、何かしてあげるということではなく、常に寄り添い、見守りつづける愛ですね」 |
ばあちゃん |
「無量寿というと不老長寿のことではないのですか。いつも私に寄り添うていて下さるという働きを表わす言葉なのですね。被災地の方がたを支える言葉にもあった」 |
ごんげはん |
「人間の愛は雑毒の善であると親鸞は見破っている。善意でも見返りを求める親切であったり、善いものと見られたくての自己犠牲であったり、そういう私の心の闇を照らし出して下さるはたらきが不可思議光です。この十年で子供の虐待死が十倍に増えているが、いかに今日、私たちは無量寿の愛に飢え、心の闇を照らしてくださる不可思議光を求めているか・・・人間としての謙虚さというか、自分のあり方に深い悲しみを感ずる心の回復こそ、日本再生の鍵だね」 |